防災を意識し始めてから26年経ちました
こんにちは。”ふたり暮らし”のReiです。今日は、阪神淡路大震災から26年ですって。
(出張先の夫です)そう言えば、Reiはその頃関西に住んでいたんじゃなかった?
そうなんです!丁度その頃京都に住んでいたんですよ。
京都だったから、ほとんど被害はありませんでした。
寮の三階の二段ベットの二階で、激しい揺れを感じました。
あとで同室の友人に「冷静だったよね」「静かだったから寝てるのかと思った」と言われましたが、人生初の地震体験に、凍りついていました。
あぁーこのまま寮がつぶれたら死ぬかもしれんな
と本当に感じていました。(寮が築50年位で古かったので真剣に怖かったです)
京都ですらそんな感じでしたから、震源地の神戸では、もっと怖かったはずです。
その後にテレビで見た神戸の街並み、被災された方々の心情、被災者の数、連日報道されました。
私達も何かできないかと二日ほどたってから、ラジオから流れたボランティアを募るキャラバンに参加しようと梅田駅まで行きました。
少ないお小遣いの中から買った、オムツやティッシュなどの生活用品、食料を両手に持ちリュックを背負って出発しました。
梅田駅はごった返していました。電車したり、どこまで行けるか分からない状況で、そこ、ここらに人だかりができていました。
私達は若く、そして甘かった。
今思えば、本当に反省しかありません。
私達が通う学校はかなり厳しく、寮生活も規律第一のような学校でした。
梅田について、そこから徒歩で神戸を目指す。
到底門限までには帰ってこられないし、そもそも神戸にたどり着くかも不明。
学校の教員に、どうしても行きたいと公衆電話で伝えましたが、結局許可が下りず、ラジオ局の方に荷物を託して、京都へ逆戻り。
「学生のあなた達に、何ができるの?」冷たい言葉でした。
今思うと教員は正しかったと思います。きっと何もできなかった。
そして地方から来た学生を預かっている立場ですから、危険な目に遭わせることができなかったと思います。
我々は自分を守る術すら知らなかったのですから。
26年前の出来事はそんな風に私の心に残っています。地震そのものに対する恐怖と、自然災害に対する畏怖、そして自分達の失敗。
それで、私は今はまず「自分を守る」ため「人に迷惑をかけない」ために自分なりの備えを行っています。
もちろん防災に完璧などありません。
いつどこで、何の災害に遭遇するか分かりません。お家に十分な備蓄があっても、家から遠く離れたところで被災するかもしれません。
普段から災害に対する関心と最低限の備えを怠らないようにしたいと思います。
私自身の備えは、以下のYouTubeの動画でご覧になれます。何か一つでも参考になったりキッカケになればと思います。
防災の再生リストのリンクです↓
防災ポーチの中身に関する動画↓
一次・二次の備え、ローリングストックに関する動画↓
今後の我が家の方針としては、防災訓練をやろう!という事になっています。計画した日が大雪で延期となり、その間に夫が出張に行ってしまったので、まだ未定なのですが、各季節ごとにやってみて、季節ごとにどんな工夫が必要かも検証してみたいなと思っています。いつかブログでもご報告できればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それでは次回。