この何気ない一日のキセキ

この何気ない一日のキセキ

アラフィフ主婦が『今を楽しく、気楽に生きる』ために今から人生を再始動させていくブログ

トイレの水漏れ

毎年、九月は何かと忙しい。稲刈りやら、お彼岸やらで、毎週末に義実家に行かないといけなかった。

今年は…というと。

今年から田んぼの仕事を農業法人に依頼しているので、稲刈りという最大行事がなくなり楽になった。

稲刈り前の準備やら後片付けもしなくていいので、なんて楽なんだろうと思った。作業中に義両親に気を使う事もなく、家に帰ってからも草や泥にまみれた衣類を洗うとうい事もなく。

 

楽に過ごせるはずだったのだけれど、今年は何かと気ぜわしい九月だった気がする。

台風が二個やって来たし、先週は水洗トイレの水漏れが起こった。

台風は何とかやり過ごしたけれど、トイレの問題は初めての経験で、本当に疲れた。

 

朝起きたらトイレの床が水浸しになっていた。

どうやら、トイレの後ろの水道の蛇口みたいな(名前がよく分からない)所からポタポタと水が出てきている。

 

水漏れ初日は不動産屋さんが定休日で、連絡取れず。

次の日朝いちばんで電話をしたけれど、担当者が来たのが15時。

業者に連絡すると言っていたが、どうなったのかの報告もなく。

こちらからまた連絡してみる。

みたいなやり取りが2日間も続いた。5日後にようやく工事に来てくれた。

 

その間、トイレのたびにバケツで水を流した。

これも初めての経験。

最初はうまく流れなくて、コツをつかむのに苦労した。

3日目辺りからは、「これはプロになれるのでは?」と思うほど上手になった。

そんな専門業種ないけど 笑

 

こういった経験はやっておくと、いざという時困らない気がした。

今回は流す水が十分にあった事、トイレそのものは使えた事で、災害で使えない状況と比較すると、なんてありがたいことだろうと思った。

 

修理のあと、トイレにいってタンクのレバーで水が流れる。ただそれだけのことなのに、すごく嬉しかった。

 

 

しかし張っていた気が、一気に緩んだのだろう。

疲労感に襲われて、昨日の午後は起き上がれなかった。

「あぁ、これしきのことで…」

と思う。

どんな状況にも適応できる、柔らかでしなやかな精神力が欲しい 笑

 

さて、今日は週の始まり。

今週も頑張ろうと思うのだった。

 

台風の日 平常心で過ごすためにやったこと その2

残り糸で編んでいるひざ掛け

18日、19日と台風が通り過ぎるのを待つ。

19日の夕方前に暴風域を抜けたが、夕方以降も風は強かった。日付が変わる頃まで時折突風が吹いていた。

今朝は快晴だが、風はいつもより強く、滅多と風の通らない我が家のリビングのカーテンが激しく揺れている。

被害が大きかった地域もあるようで、早く日常を取り戻せることを心より願う。

 

私は台風がやってくると、何故だか知らないが、急に片付けや掃除がしたくなる。

前回の台風12号の時は、換気扇の掃除をした。

普段は「面倒くさい」が先立ち、なかなか着手しないのに、我ながら面白い思考回路をしていると思う。

 

今回はどうしたか。

 

我が家には「物置部屋」とか「着替え部屋」と呼ばれる部屋が一室ある。

自分が作っているYouTube動画の中にも滅多と登場しない部屋だ。

趣味の道具や夫の衣類を仕舞ったり、室内干しのスペースとなっている。

 

近頃、夫が釣り具を手放したので、随分すっきりした。

と、途端に私の趣味道具が存在感を増し、なんだか肩身の狭い思いをしている。

そんなことで、趣味道具を少しづつ整理しようと思い立つ。

 

最初に目についたのは、昨年、母に頼まれて帽子を編んだときの残り糸。

そして、ダーニングに使った刺し子糸の残り。

今後使う事あるかな?と考えてみた。

刺し子糸の残りは十分な量はあるけれど、刺し子をすることはないし、ダーニングは次いつするかはわからない。

毛糸に至っては、使いかけの色違いの糸が5種類。糸の太さも違っていて、何かを編むにも中途半端な量だ。

刺し子糸(下)と毛糸(上)

購入したからには使い切って捨てたい、と正義感と申し訳なさが入り交じる。

 

色合いが全然合わない気がするけれど、家の中で使うものならいいかな…と妥協点を探し、冬用にひざ掛けを編んでみようと思った。

 

18日の昼頃から、編み始める。

黙々とやる作業は、台風で心がざわつきそうな時、私にとっては精神安定剤だ。

風が吹いても、雨が降っても、ただ黙々と編み進めるだけ。

定期的に模様が入ったりすると、数えたりしながら編むから集中もできる。

 

おかげで、テレビにかじりついて台風情報を見ることもなく、数時間ごとに自分で情報収集しながら、平常心を保つことができた。

 

『自分が集中できる何か』

本を読んだり、音楽を聴いたり

歌を歌ったり、ボードゲームをしたり

それこそ刺し子をしたり刺繍をしたり

何でもいい、小さな環境で少ない道具でできるもの

自宅以外にも持ち出せるもの

自分なりの精神安定剤をみつける事は、災害時の心の安定に少しはつながるのではないかなと思う。

今回は我が家は停電はなかったから、できたことでもある。停電対策もしっかりと行わなければ、と思うのであった。

台風の日 平常心で過ごすためにやったこと

玄関に避難中の物干し台

台風14号の最中。

いまだ暴風域にある我が家、といっても今は風もほとんどなく、日常を取り戻しつつある。

このあとお昼過ぎまでは、”吹き返しの風と線状降水帯による雨に注意が必要”との予報だ。今日一日は注意して過ごしたい。

 

日付が変わる頃から風の音が強まり、3時ごろまで続いただろうか。

ウトウトした頃に大きな風音で覚醒を繰り返し、熟睡感が得られぬ朝となった。

それでも、朝起きると外の様子はいつもと変りなく、何かが壊れたりしていない状況に、胸を撫で下ろす。テレビでは大きな被害が出ている地域のニュースが流れ、心を痛めると共に、我が家に被害がなかったことに、なんとありがたいことか、と感謝する。

 

これまで、台風や大雨のたびに心がざわつき、生きた心地のしない時間を過ごしていた。テレビの予報とにらめっこして、それが通り過ぎるのをひたすら耐える。

不安で仕方なかった。

今回は少し違った。

17日のうちに『自分が考えうる、自分が成しえる最大限の対策』をした。

 

外に置いてあるもので、家の中に入れられるものは全て入れる。

外に置いておくものは、ロープと重しで固定する。

買い物を済ませる。

ソファやベッドを窓から離す。

停電に備えてライトを準備する。

クーラーボックスの準備する。

モバイルバッテリーをフル充電する。

ビニールシートやガムテープ、ロープをすぐ使えるところにおく。

水をお風呂やボトルに蓄える。

避難する状況になったら、どこに避難するのか再確認する。

 

台風が近づくにつれ、先に台風が近づいた地域の状況も数時間ごとに確認した。

停電が9万世帯にも及んだ頃、停電はあり得ると覚悟した。

テレビではなく、インターネットで情報を得るようにした。

できるだけ、自分が知りたい情報だけを見るようにしたかったから。

 

いつもなら、不安で胸が押しつぶされそうになるところだが、今回は落ちついていた。

数十年に一度とか、過去に例を見ない、スーパー台風、経験したことのない、などの言葉が並んだことも要因かもしれない。

風速70メートルを超えると鉄骨の構造物でさえ変形するという。

そしたら、木造家屋なんて吹き飛ぶだろうな、と思った。

つまりは構造が頑丈な建物に居ても、何かしらのものが飛んできて窓ガラスが割れたり、停電したりする可能性もあると言う事だ。

そう考えると、どこにいても危険だと思った。

腹が据わった。

 

今、できる事を自分はやった

自分の力や考えが、到底及ばないものがやってくる

 

そう考えると、心が穏やかになり、今できる事に集中できた。

かつてなく平穏な心で、台風が通り過ぎるのを待っている。

 

身を守るためには、できる対策はまだあると思う。

「どこにいても危険だ」と先に書いたが、身を守るためなら、ホテルなどで過ごすという選択もあるだろう。木造家屋の我が家よりは身を守れると思う。

特に洪水の危険が大きい時は、平屋の家よりは上階で過ごす方が身を守れる。

我が家でも、「今後は、場合によってはホテルに滞在することも考えないとね」…と話した。

今回は停電は免れたが、ポータブル電源の購入も必要かもしれない。

 

台風は予測できる災害なので、『身を守る』という対策がやりやすい。あくまでも予測、予報なので外れることもあるし状況もどんどん変わっていく。

もし、対策していなくてもても大丈夫だったかも?という肩透かしの結果になったとしても、それは結果であり、全く対策していなかったら結果は違ったかもしれない。

 

一つ言えるのは、対策しておけば心の状態は全然違う。平常心でいることは、想定外の事態に対処する力をくれると思う。

お弁当を三つ作る理由

ある日のお弁当

夫が仕事に行く日はお弁当を作る。

毎日…と言いたいが、そんなこともない。

ご飯を炊き忘れて冷ご飯もない時や体の不調で朝起きられない時にはお休みする。

近頃は、自分のお弁当も一緒に詰める。

そうすると、「今日のお昼何食べようかな?」と悩むこともないし、面倒だからとインスタント食品で済ますこともなく、ちょっとだけ健康に向かうのでは?なんて思う。

自分用にインスタントを買う必要もなく、食材も余りにくくなるので、私の中では一石三鳥と言ったところだ。

 

今年の5月ごろから、夫の同僚のお弁当も作るようになった。

5月から平日毎日というとすごい量を作っている気がするが、夫と同僚はそれぞれ出張が多いので、実際には30回かそこらしか作ってはいない。

 

”作るのにひとつもふたつも一緒”

という言葉を聞くが、私も最初そう思っていた。

実際はだいぶん違った。

一人分が、三人ないし二人分となると、まず材料の量がめっぽう増える。

 

我が家は週1回買い物に行く前提で話しをすると…。

鶏もも肉を入れるとして、ひとりでもも肉半枚使うなら、3人だと1.5枚分。

お弁当用としては2枚入りパックを買えばよいが、朝晩の食事を考えると、もう少し買っておかねばならない。魚も野菜もしかり。

 

誤算だったのは、作り置き。

今まで作っていた作り置きの分量だと、だいたい1日でなくなるのだ。

もう、作り置きじゃなくなっている。

だから、この頃は夕飯を作るときに、副菜を多く作るかお弁当用に別の副菜を毎日作る羽目になっている。

 

大変そうに見えることを、何故続けているのか。

 

それは、自分のためでもある。

自分の作った料理を食べてくれる人がいる、というのはなんとありがたいことかと思う。私がひとり暮らしだったら、多分栄養バランスや彩りを考えたり、手作りすることは滅多にないだろう。

私には、食べてくれる人がいることは、作る原動力になっている。

そして自分も同じ食事を食べることができている。

 

そこに夫の同僚という外部の人が加わる。

 

そうすると、新たなメニューに挑戦してみようと思う。

また、夫以外の人に料理の感想を聞くことができて勉強にもなる。

同僚からは”材料費”という名の手間賃をいただく。

(我が家の経済は生活には困らぬものの、富豪ではないのでね。)

この同僚の感想や材料費というものが、私に少しの自信をもたらす。

材料費を差し引いて、光熱費を差し引いて…実際にはそんなに細かな計算はしていないからわからないけれど、商売だったらたぶん早々に閉店に追い込まれる事態…くらいの金額だろう。

でも、その感想や手間賃はお弁当を作らなかったら生み出せない結果だから、自信につながる。

 

だから、少しだけ大変だけれど、今日もお弁当を三つ作った。

続けること 言葉にすること

愛用のパソコン

自分の気持ちを言葉にするのが苦手だ。

人と話しているとき、口からこぼれそうな言葉を飲み込んでしまうことがある。

想いをもっと他の人に伝えることが出来たら…と思う。

 

完璧を求めたり、他人の反応を気にしすぎる性分というのも、それを難しくしている要因だろうと思う。

 

 

苦手なことはもうひとつ。

続ける事

これもまた、完璧を求めすぎるためだろうと思う。

一日休めば、もうその計画すべてが崩れてしまったように感じてしまう。

そして、「今日ははまぁいいか」と自分にとことん甘く、飽きっぽい。

 

いま、ちょこっとづつ自分の思考や癖を改善していく練習中。

続ける事、自分の気持ちを言葉にすること

そんな気持ちで、ブログを書いている。

 

私たちは、毎日が新しい。

昨日出来なかったとしても、今日目覚めたならば、今日はまた新たな気持ちで臨めばいい。

 

幸い、このブログはたいして読まれていない(笑)(読んでくださっているみなさん、ありがとう♪)

そういった意味で「なんてハードルが低いのだろう」と思うのだ。(いや、私だって誰かに読んでもらいたい願望はあったりするのだけれど)

【ブログかけ】ってハッシュタグがあるみたいに、とにかく書いてみよう。(そういうブログは大抵、誰かにとって有益なものだったりするけれど)

 

続ける事、言葉にすること

これが当面、私の目標。

そして自分に自信を取り戻したい。

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