この何気ない一日のキセキ

この何気ない一日のキセキ

アラフィフ主婦が『今を楽しく、気楽に生きる』ために今から人生を再始動させていくブログ

消えてしまっても、意外と大丈夫だった

SSDとUSB

近年はお家時間が増えて、捨て活が進んだ方も多いのでは?

私もここ数年は、

すっきり暮らしたい

シンプルな暮らし

体力のあるうちに老後を見据えて整理したい

などの思いで、思い立っては、ちょこちょこと片づけをしている。

 

もう何年も前に、持っている音楽CDを手放すとき、どうしても捨てられそうにないものについては、外付けのハードディスクに入れておいた。

同時にパソコンに入れてある結婚前後からの写真のデータも入れた。

 

先日、”あの曲が聞きたい”と思ってハードディスクを立ち上げたところ、入れたはずのデータが全て違うファイルに置き換わっていた。

 

どうやら、ハードディスクに他のデータを移す際に、間違って上書きしたようなのだ。

どちらも夫に依頼してやってもらった事なので、詳細な事実は分からないのだけれど、消えてしまった事だけは確か。

 

それを見た瞬間は、数秒は「えええぇぇぇーーー」と衝撃を受けたのだが、私にしては、ショックを引きずらなかった。

 

CDは、またご縁があればどこかのレンタルショップで出会うだろうし、探せばiTunesで買えるかもしれない。

写真はもう二度とその時間に戻って撮り直すことはできない。

でも、そこに行ったりやったりしたことの思いは残る。

思い出がよみがえるキッカケにはなるかもしれないけれど、それは単にキッカケであって、写真でなくとも良いのかもしれない、と思えた。

 

数年見返していなかったデータなど今後の人生でも数回見返すかどうか、なのだ。

多少大げさに言えば、

失ったからと言って、人生を左右するものではないのだ

と悟った。

 

アクシデントで失ったのだけれど、かえってすっきりした気分だ。

自分では捨てられないものを、捨ててもらえてすっきりした。というところだろうか。

 

自分にとって大事だと思うモノでも、残しておきたいと思うモノでも、消えてしまっても意外と大丈夫なモノもあるのだと感じた出来事だった。

時が変わると、大事にしたいものも変わるのだ。

「今」の自分と向き合ってみて、一度片づけたものでも見直してみることも必要なのだな。

夫の休日

夕暮れ時の月

二日間降った雨の跡、今日は過ごしやすい陽気。

数日前、夏日近くまで気温が上がり、寒がりの私でさえ半袖で過ごせそうだと思っていたのだけれど、昨晩は気温がグンと下がったようだった。

もう暑くなるのかと、掛け布団を仕舞うつもりでシーツを洗ったり布団を干したりしていたのだが、朝起きてみると掛布団なしでは体が随分と冷えている気がした。

気温、湿度ともに高くなってくるこの時期、毎年のように体調を崩しているので気をつけたいところ。

 

さてさて、我が家では今日から夫がなんと9連休!

 

早く起きてお弁当を作らなくてもいい。

あぁーだけど、9日間お昼ご飯も作らなきゃいけない。

そんなせめぎ合う気持ちもありつつ、夫がお休みなのは嬉しい限り。

 

普段なかなかできないことをしたいものだ。

 

かく言う本日は、夫はリビングのテレビを独占して、ゲームをやっている。

ゲームは彼にとっては息抜き、リフレッシュ、趣味。

一日中やっていられるらしい。

 

私にとっては普段できないこと…ではなかった。

 

しかし、そんなに熱中できるものがあって、逆に羨ましくさえ思う。

 

まぁまぁ、週末だからお出かけしても人が多いだろうから、明日もきっとこんな感じで過ごすのだろうな。

特別なことはなくてもふたりで過ごす一日は、穏やかな気持ちでいられる気がするので、私は好きだ。

 

来週の中頃は、母を連れて小旅行の計画中。

 

こんな大型連休は珍しいので、夫にはリフレッシュしてもらって、日ごろの疲れをいやしてもらいたい。

初めて「今週のお題」について書いてみる

シロツメクサの花

少々、いや、かなり長い期間、ブログを放置しちゃってた。
それなのに、毎日何人かは私のブログを覗いてくださる。ありがたや~。

休んでいる間に、雪が降り、桜が咲き、今やもう紫陽花が咲こうとしている。
時の歩みの速さよ。ぼぉーとしていちゃ、もったいないな。

「さてさて、再開しよう」と思ったものの、久々すぎてログインからつまずく始末。

 

再開、初めての記事は

今週のお題「おとなになったら」

について書いてみようと思う。

 

ちょうど昨夜、夫と20代の頃の話をした。

20代前半のころ、職場の先輩と出かけたことがあった。

ホテルのカフェで、ジャズの生演奏を聴いた。

ジャズを聴きに来た周りの人がすごく大人に見えて、シルバーグレーのおじさまと連れの奥様とお見受けする女性が、なんと素敵に見えたことか。

きっと今の私の年代くらいの人たちだった思う。

 

「あんな素敵な大人になりたい」

と思ったものだ。

 

休日にジャズを聴きに行くなんて…大人の余裕が感じられる。

あぁー、きっと素敵なお家に住んでいらっしゃるのね。

食卓のテーブルクロスは真っ白で。

大型犬を飼っていたり。

広いお庭でヨガなんかしちゃったり。

 

そんな想像をしちゃうくらいステキ。

(事実は知らないけれど。)

 

今、彼らと同じくらいの年代になって、

あんな素敵な大人になっているだろうか?と思うのだ。

 

自分ではその頃と変わらない。
もっと正確に言えば、高校生くらいのころと何ら変わらない精神年齢だ。

落ち着き、自立心、問題解決能力といったものがまるでない。

 

今、私が猛烈に欲しい大人的要素

それは『自律 自立 継続力』だ。

高校生の頃、友人の部屋に行った時、習字で書かれた文字があった。

「継続は力なり」

何となく意味は分かっているつもりになっていたけれど、当時は”勉強を頑張って続けたら、いい成績が取れるよ”くらいに思っていた。

そして50歳を目前にした今、その本当の意味に気がつく。

いや、本当の意味かは分からないけれど、自分なりの答えとでも言おうか。

 

継続することは

自分の自信や信用性となり得る。

技術の向上や経験の蓄積となり、それは自分だけの財産になるんじゃないかな。

 

自律、自立するためにも、この継続力って関連してると思う。

自分を律さないと継続はできないし、継続しないと自立もできないんじゃないかと思うの(どっちが先かって言う、卵が先か、にわとりが先か的なところも、ちょっとあるけれど)。

 

「思い描いた大人になれてる?」

という問いにハッとした今日。

思い描いた大人になりたい私は、少し頑張ってみようかな?という気になっている。

まだ、間に合うよね…?

大丈夫。

健診結果が要精密検査だった時に思ったこと

今年も残すところ、あとひと月になろうとしている。

すこし今年を振り返ると、叔母や私より10歳も若い知人の訃報が届き、私自身がコロナに感染したり、健康診断で要精密検査の判定を受けたりと、病気や死というものについて考える機会が多かった。

いつもそんなことを考えてばかりいるわけではないけれど。

今日は、健康診断で要精密検査だった時の話。

 

 

夫の会社の保険組合のおかげで、専業主婦の私でも毎年健康診断が無料で受けられる。

なんてありがたいこと。

今年の健康診断の結果が、10月の中頃に届いた。

検査項目の一つが、要精密検査だった。

頭をよぎったのは、”がんかも知れない”と言う事。私の両親は二人ともがんだし、今や二人に一人はがんになる時代、それほどの驚きはなかった。

だが、どうだかわからない、という状況のなんと苦しいことか。

検査を受けるまでの数日間、いろいろなことが頭を占領した。

実のところ、死ぬことは怖いとは思っていない。

でも何かが怖くて不安。

何だろう…と考えた結果、私はまだ準備ができていないから、不安なのだと気がついた。準備とは自分の後始末のこと。

 

もしがんだったら?と思ったとき、「まず何をするか」考えてみた。

 

一番に思いついたのが、『遺影を撮ろう』

その次は、『夫がご飯を食べて行けるように、レシピ帳を作ろう』だった。

 

遺影は別に飾ってくれなくてもいいけれど、写真を見るとその人のことを思い出したりする。

もし、夫が私の死後に見る写真が「私らしくて元気な私」「私との思い出がよみがえる写真」だったらいいなと思った。

見てくれるなら…の話なんだけどww

レシピ帳は、夫は料理が全然できないから、あったらいいなと思った。

簡単で仕事から帰って来ても作れそうなもので、栄養がとれるもの。

そんなレシピをまとめておきたいと思った。

 

夫より早くに死んだら、別に夫にはその後独身を貫いてほしいとも思っていない。何なら早く一緒に歩む人を見つけてほしいとさえ思う。そうなったら、遺影もレシピ帳も用無しだ。

 

ところで、検査の結果が出て、がんではないとわかり、冷静になっとところでもう一度考えてみた。

これって、べつにがんとわかってからやる事でもないんじゃないか?

写真は数年に一度、撮るようにしておけばいいし、レシピだって毎日作ってるご飯をコツコツ書き溜めれば良いんじゃないか?ってこと。

 

そうだわ!

病気で死ぬとは限らないしね。

”準備”って人によっていろいろあると思うけれど、より良く楽しく生きるために、私なりの準備を進めておきたいと思う出来事だった。

 

 

エアプランツを初ソーキング

エアプランツをソーキング中

7月ごろに買ったエアプランツ。

近頃、あまり元気が無いように感じた。

少し色が濃くなって、表面がカサカサしてる気がする。

秋になってきて、空気が乾燥しているからかな?

一見、お手入れが簡単で育てやすく、しばらく放置していても長生きしそうだけれど、ちゃんと生きていて、うっかり忘れると不調になってる。

 

ということで、購入後初めてのソーキングをしてみる。

調べてみると、ソーキングとは、ボウルなどに張った水にエアプランツを直接浸す作業のことらしい。

サイトによっては月一回行うと書いてあって、「あら、購入してから一回もやったことがないわ!」とちょっと焦る。

 

適当な入れ物がなかったので、円柱の花瓶に水を張ってエアプランツを入れる。

そのまま、3時間放置した。(ちょっと窮屈そうだったから、次はボウルにしよう)

水から上げたあとは、風通しの良いところで、逆さに向けて水を切る。

根本に水が残ると蒸れて良くないとのこと。

 

おやおや。

それまでは先がクルンと反ったり、艶の無かった表面が、ピンと背筋を伸ばしてぷっくらつやつやな感じになってる♪

見るからに元気そう。

水が足りなかったんだね。

 

今回、いろいろ調べて分かったのだけれど、水やりは夕方から夜の方がいいと。

いやぁ、いつも午前中にやってたわ。

気温が高いと蒸れて腐ることがあるからなのか。ふむふむ。

自分でちゃんと育て方を調べておかねばなりません(反省)

 

ソーキング翌日の今日も、特に異変はないようなので成功したのかな?

もう少し様子を見守ることにしよう。

 

こうやって手をかけないと、放置してるだけでは育たない。

人と同じで、生きてるな、とヒシヒシと感じる作業だった。

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