消えてしまっても、意外と大丈夫だった
近年はお家時間が増えて、捨て活が進んだ方も多いのでは?
私もここ数年は、
すっきり暮らしたい
シンプルな暮らし
体力のあるうちに老後を見据えて整理したい
などの思いで、思い立っては、ちょこちょこと片づけをしている。
もう何年も前に、持っている音楽CDを手放すとき、どうしても捨てられそうにないものについては、外付けのハードディスクに入れておいた。
同時にパソコンに入れてある結婚前後からの写真のデータも入れた。
先日、”あの曲が聞きたい”と思ってハードディスクを立ち上げたところ、入れたはずのデータが全て違うファイルに置き換わっていた。
どうやら、ハードディスクに他のデータを移す際に、間違って上書きしたようなのだ。
どちらも夫に依頼してやってもらった事なので、詳細な事実は分からないのだけれど、消えてしまった事だけは確か。
それを見た瞬間は、数秒は「えええぇぇぇーーー」と衝撃を受けたのだが、私にしては、ショックを引きずらなかった。
CDは、またご縁があればどこかのレンタルショップで出会うだろうし、探せばiTunesで買えるかもしれない。
写真はもう二度とその時間に戻って撮り直すことはできない。
でも、そこに行ったりやったりしたことの思いは残る。
思い出がよみがえるキッカケにはなるかもしれないけれど、それは単にキッカケであって、写真でなくとも良いのかもしれない、と思えた。
数年見返していなかったデータなど今後の人生でも数回見返すかどうか、なのだ。
多少大げさに言えば、
失ったからと言って、人生を左右するものではないのだ
と悟った。
アクシデントで失ったのだけれど、かえってすっきりした気分だ。
自分では捨てられないものを、捨ててもらえてすっきりした。というところだろうか。
自分にとって大事だと思うモノでも、残しておきたいと思うモノでも、消えてしまっても意外と大丈夫なモノもあるのだと感じた出来事だった。
時が変わると、大事にしたいものも変わるのだ。
「今」の自分と向き合ってみて、一度片づけたものでも見直してみることも必要なのだな。