休んで、待つ ~めまいのその後~
こんにちは、”ふたり暮らし”のReiです。
前回の投稿から早いもので、3か月が経過した。
この間、私の対外的な活動、つまりはSNSを使った活動を完全に停止していた。
(いや、便宜上「活動」と言っているが、大した内容を発信しているわけでない笑)
正確に言うと、活動ができなかったし、やる気も起きなかったと言うのが本当の所だろう。おかげで、作業用の机の上は静かなものだった。
3か月前にも書いたように、原因はめまい。
『携帯やパソコンのスクロール』という行為に対して、眼が全然追いつかない。
スクロールしながら読むということはないのだが、画面が流れていくさまが、めまいを誘発するのだ。必死に読もうとすると眩暈がしてきて気分が悪くなる。
目のいい人が眼鏡を掛けたらくらくらする、あの感じ。
目が悪いのか、頭のどこかが悪いのか。
頭のCTを受けてみたり、眼科に行ってみたり。
いずれも異常はなかった。
なぜ症状が続くのか。やりたいことがあるのに何もできない、このジレンマ。
「とにかく何も考えずに休もう」
ところが、生真面目な(?)私は休んでいることに罪悪感を感じやすく、リフレッシュが下手っぴだ。
そして、
休んでいる間に忘れられないだろうか?
休んでばかりでどう思われているかしら?
休んでいる理由をどう説明すべきか?
など、いらぬことを考えてしまう。
それでますます、気分が落ち込むという悪循環。
ある時、こんな言葉を目にした。
【自律神経の感じやすさは人それぞれ いわばそれも個性です】
おやっ、そうか。
個性なのか。
人より感じやすいことは厄介ではあるが、未病の状態で体の異変を知らせてくれているんじゃないのかな、そろそろ休み時だよって。
なんて思えた。
これで、罪悪感や焦りが完全に消え去ることはないけれど、"今は休む時"という明確な方向性は示されたわけだ。
全く焦らなかったか…といえば焦ったし、こんなに休むならいっそ辞めてしまおうか、とも思った。SNSなんて無くても生きていけるし、大したことをマメに発信しているわけでもない。
ある人がこう言った。
「辞める必要はないよ。できない時は休めばいいよ。やりたくなったらまたやればいい。」
なるほどな。
休んで、待つ。
そろそろ気候も涼しくなってきて、めまいも軽減してきたので、少しづつ自分のやりたいことを始めてみたい。
今はそんな気分になっている。