この何気ない一日のキセキ

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アラフィフ主婦が『今を楽しく、気楽に生きる』ために今から人生を再始動させていくブログ

四ヶ月半ぶりに実家へ行く

最後に実家に行ったのはいつだったか。。。
手帳を開いてみる。
2月19日だった。
ほぼ四ヶ月半ぶりに!昨日実家に行った。

雨の中、車で往復約三時間の道のり。電車だともっと時間がかかる。とくにこのご時世電車に乗りたくなので、夫が休みで車で行けたのは幸い。

母との関係は必ずしも良好とも言えない。すごく会いに行きたかった…とか言うわけではないが、年老いた母を放置することもできない。(いや、四ヶ月半も放置していたわけだけど。)
私自身も四か月半の間、市外へ出る事もなく徒歩30分圏内のお店や、田仕事での夫の実家以外の外出をしていなかったのだから、仕方ない。

そんな感じでも、行けば母はすごく喜んでくれる。この期間向こうも自粛生活で、ほとんど友人と会う事もなかったようなので、一人暮らしの身にとっては結構つらかったかもしれない。
それでも、体は元気で、認知症になるわけでもなく過ごしてくれた。
そこは、本当に感謝したい。

何年前からだろうか。。。
「お年寄りの孤独死」や「真夏の夜にクーラーつけない冷房嫌いの高齢者」などのニュースを耳にするたびに、うちの母は大丈夫だろうか…夜中に倒れて誰も気がつかなかったら…などと心配が尽きなかった。
だから、毎朝8時にメールをすることにした。仰々しく言うと『生存確認メール』だ。救いなのは、新しいことを覚える気のない、電子機器が苦手な母が携帯メールを使うことができたことだ。
まぁ、メールができなければ、毎日定時に電話をコールしてもらう、などの方法も考えたかもしれない。
この7年間の間に、メールのし忘れも何度かあった。朝早くでかけて忘れていたり、携帯そのものを忘れてメールも電話もできないとか、一番厄介なのが私ではない人に私宛のメールを送っているときだった。本人は送ったつもりなので、私が電話をしても「何か用?私はメールを送ったわよ」となかなか間違いを認めないから。心配した割には、全く報われない感じがして、心身ともに体力を奪われる。

時間が過ぎてもメールが来ないときのやきもき感と言ったら半端ない。家や携帯に何度も電話し、姉に母の予定を聞いていないか確認したり。それでも連絡がつかず、時間ばかりが過ぎ、何かあったのではないかと不安になる。実家に行くため取るものとりあえず、髪の毛を振り乱して、駅へ走ったこともある。実家に向かう途中で、「わすれてたぁー」となんと呑気な声で電話があったことも数回あった。ホント、勘弁して。
自分が始めたこととはいえ、勘弁してほしいと思ったこと、何回あっただろうか。

このコロナ禍で母はLINEも使えるようになった。写真などが断然送りやすくなったし、スタンプが使えるのでいいなと私自身は思っている。まぁまだ母の使い方には不安があって。丁度一昨日家族のグループLINEでみんなで話をしたんだが、昨日行ってみると母が何故か、次女の発言にえらく憤慨していたのだ。私としては姉にしては珍しく?限りなく優しく母に語りかけているように思ったのでそれを伝えると、自分が訪ねた内容と全く関係のないことを打ってきていた、というのだ。
確かに一番最後の吹き出しには、「雨がひどいから(東京の姉に向けて)気をつけて」という内容だった。その前にちゃんと母に向けて返事してたよ?と言うと、自分のところにはそんな内容は流れてきていない、と言い張る。よくよく聞いてみると、母は、一番最後の吹き出ししか見ていないのだ。えっ、じゃぁ今まで吹き出し複数で送ったLINEはどう解釈して見ていたのかしら???

四ヶ月半ぶりに実家へ行って、母が「LINEのメッセージの見かたをマスターした」という事の成果は得ることができたようだ。
たぶん…ね。


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