素敵なものは心が見せてくれるものだった
このごろ、よく思うんです。
『”本当に素敵だな”と思えるものは、自分の心の中かにある何かが見せてくれるものではないのか?』
と言う事。
そう思うキッカケとなったのは、Twitterだ。
Twitterで仲良くしてくださる人の中で、いろいろな風景、花、動物の写真を撮って投稿される人、近頃Webライターのお仕事を始められた人がおられる。
みなさん、素敵な写真や記事で、いつも楽しく拝見している。
最初のうち、こんなふうにカメラがうまくなりたいとか、こんな素敵な風景やお店が私の近くにはないな、と思っていたんです。
そして何より、私は今住んでいる街が微妙に好きじゃなかった。
自然が多くて好きなところもあるけれど、(特に義実家の辺りは)男尊女卑が色濃く残り、他の地域から越してきた人をいつまでもよそ者扱いする、そんな土地柄だから。
ある日、図書館に行きがてら、街の中をよくよく見てみると昔ながらのお饅頭屋さん、豆腐屋さん、昭和のたたずまいを残した店構え、そしてそこで働く”ザ・商売人”といった感じのおじいさんやおばさん。
今風ではないが、味がある。
これはこれで、とても素敵だ。
たぶん買い物したり、お話を伺ったりしたら、きっと楽しい話が聞けそうだ。
なんて思った。
「あぁー、この街が素敵に見えなかったのは、私の心の問題だったのかも」
「多分、素敵な場所はたくさんあって、それに気づいて、そこに生きる人に関心があるかは、私次第なのだ」
と思えた。
そうするとね、不思議と「この街もなかなかいいものじゃないか」なんて思うのだ。
あっ、でもね。やっぱり、それをファインダーに納めようとしたり、人に読んでもらえる記事にするって言うのは別物で、先に書いたお二人の力量はすごくて、感性が遠く及ばない。お二人が我が街にやってきたらどんな写真を撮り、どんなお店をどう紹介するのか、気になります 笑
素敵なものは心が見せてくれると気づかせてくださって、感謝。
私も、変な色眼鏡はかけないで、良い色眼鏡をかけてこの街を眺めてみようと思う。